労働災害補償をもとめて(若月俊一著「村で病気とたたかう」)引用

労働災害補償をもとめて
昭和38年頃から、全国農協青年部の諸君がさわぎだした。ケガをした場合農民には何も補償がされない。これはおかしいではないか。労働者なみに労災法を適用してくれないかという運動をおこした。これが非常に大きな反響をまき起こして、全国青年協議会の名のもとに、農林省労働省に積極的に働きかけた。またちょうどその頃、ILOの121号条約の成立により、自営業者、農民にも労災法を適用すべしという勧告があったという機運も手伝って、労働省もやっとその重い腰をあげるようになった。39年の全国農協大会では、「農業者の労働災害補償制度を確立すべし」という決議が行なわれ、全国農協中央会の農政活動の一環としてこの運動がとりあげられることになった。そしてあくる昭和40年1月になって、労働省もついに現行の労災法を改正し、農民などの自営業者を、労災保険に「一部加入」させる法案をうちだしたのである。6月の第48通常国会にはこれが通過した。青年部がこの問題をとりあげてからまる二年後のことである。
 40年の6月、農協中央会の要請によって、この内容を審議決定するための専門委員会が組織された。すなわち東大の福武教授が委員長になり、日本農村医学会から私、全国厚生連から金井専務さん、そのほか農林省農政局の片山調査官ら数人が委員になって、「農業者労災保険研究会」ができた。研究会の結論こそ11月に実施される新制度の内容をそのまま決定すべきなのであるが、なかなかそうは問屋がおろさない。けっきょく、ふたをあけてみたら私どもの結論からだいぶへだたった、不満足きわまるかたちでそれが決められたので、私どもは非常に憤慨し、また落胆した。まるで私どもの主張したところを、純理論とあざわらうかのような、労働省担当官の決めかたである。要するに、労働省の主張する点は、現在でも労災保険対象の労働者は1900万人で、その事務が煩雑で苦しんでいるのに、そこへまた農業従事者1200万もがなだれこんで入ってきたらとてもたまったものではない。そこでどうしても、農業者への適用は、制限をきびしくしなければいけない。つまり、適用対象を非常にしぼって入れようという、すこぶる官僚的な考え方なのである。そして結局、労災が受けられる対象を、自走式農機具のケガだけにしてしまったのである。
 農業者労災保険研究会の委員長をされた福武教授は、雑誌『農業協同組合』(昭和41年2月号)でつぎのようにいっている。
「われわれの研究会でこういうことがのぞましいんだといったとしても、われわれだけでは、何の反響も生じない。やはりこれがのぞましい方向にいくには、広範な農民が声を大にして叫ぶかどうかできまるのであろう。それと同時に、若月先生がいっているように、災害に対する予防ということも大切で、農民の方々がもっと自分のからだを大切にするようになってほしいと思う。」
 労働省は、自営業者である農民を、労働者と認めていないのである。わずかな土地と生産手段をもつゆえに、一般勤労者より所得の少ない農民を、一般労働者より余計に働き、余計に苦労し、従って健康犠牲 もはるかに多い農民を、労災保険の対象から除外してきた。どうして「農薬中毒」や「耕耘機流産」や「家畜からうつる伝染病」のような農業災害や農業病が、労災保険の対象にならなかったかといえば、要するに農民が「自営業者」であるというその一点からだけであった。何という農民に対する無理解であろう。何という「現実をみない」官僚主義であろう。

わたしたちが上述のように

脱官僚、反官僚主義

行政改革!早く実現させろよ!!

声を大にして叫ぼう!


そして、それよりもさきに、
わたしたちの自己確立と自己責任の確立を!!

太字強調は、ぼくの意思でしています。



単純な「革命理論」(若月俊一著「村で病気とたたかう」)引用
http://blogs.yahoo.co.jp/hagetaka0/53642284.html