第一章 私のロビンたち...から(2)

第一章 私のロビンたち から
18世紀にビュフォンは、ロビンは森を通る旅人についてゆくことがあると記しているし、ドレイトンが述べているように、こういうことから次のような伝説が生まれたのであろう。

死者の開いたままの眼に蘚類(こけ)をかけ、
あのかわいいロビンがキリストの愛を説く

シェークスピアの「情深い嘴をもつロビン」もあれば、もっと
も著名なのは次のものである。

こうしてさ迷う、何知らぬ幼い兄妹
ついに死が二人の深い悲しみを閉ざした、
互いに抱き合い死んでいった
しかるべき助けを待ちながら。
かわいい二人を引きとって
埋葬する者がない
ロビンが敬虔に
幼い二人を木の葉で覆い葬るまでは。
「ロビンの生活」のなかにも記されているように、確かアリストテレスも、すなわち紀元前から、もうすでに、このロビンの記述が見られるということ、ずいぶん親しまれていた鳥なんだとわかる。もっとも当時は食用としての意味も大きく関与していたのだろうと推測されるところです。が、日本の古典同様、その囀り、鳴き声、人なつこいところ、お腹のオレンジ色等々、叙情的、情緒的な意味も多分にあったのだろうとは思いますが、あくまでも、ぼくの勝手な思い込みであり、想像のことで恐縮です。
ロビンの生活...「序」からで『仮にこの眼のことがぼくの空想の産物だったとしても』とその真意のほどを疑わしく話していましたが、上述のように著名なものとして、「英語歳時記/春」(研究社)のなかでも、同様に下記童話のことに触れていた。
 Robin の歌には哀愁の調子をおびるものが多い。童謡の中にも2人の子どもが森の中で死んでいると、
robin が落葉をくわえてきて葬るという詩があるが、Robert Herrick の Hesperides の中の 'To Robin 
Redbreast' という短詩にも、同じ意味のことがうたわれ、自分が死んで埋葬されたら、

   Sing thou my dirge, sweet warbling choraister,
   For epitaph in foliage next write this---
   Here, here the tomb of Robin Herrick is.

   私のため 挽歌をうたえーーーかわゆくさえずる小鳥、
   そのつぎに、木の葉で、銘をかくーーー
   ここに、ここに、ロビン・ヘリックの墓があると。