山椒魚戦争 (ハヤカワ文庫SF)



解説もすべて含めて500数ページの文庫本、長編SF!?です
山椒魚ということでおもしろおかしく動物的観察をしていた
それが・・・

貪欲に読書の浮気をしながらのことで正直なところ疲れたけれど
読み終え、素敵な本に出合えてよかったと改めておもっている

どこかに記されていたかもしれないけれど
ぼくのなかでは、現代によみがえった「ノアの方舟」伝説なんだと位置づけたい

ノンフィクション要素としてナチスドイツの風刺等、政治的時代背景をもっているSF
山椒魚というだけでもう十分その発想、テーマ等々、興味深かいものをもっています

チャペックの世界は、いつも、距離を置こう、逃げようとおもっても
離れがたく、捨てがたくひきつけられていってしまう魅力をもっている

訳者の栗栖継氏が巻末解説で下記のように
いちばん肝心な部分を略して恐縮だが
山椒魚戦争』をSFでも、哲学的・思想的・政治的SFと呼ぶゆえんであると述べられている

ときどき、ぼくは、こんなことを考えおもいめぐらす長いときをもつことがあります
ぼくがいまいるこのときと、ところとなにもかもまったくおなじ地球人類の世界に
ぼくとまったくおなじ人間がまったくおなじように生活していたときが
何十億年!?か前にあり、それが崩壊し、再度おなじことが繰り返されているのに違いないと
きっと、そうなんだっておもうことがシンクロニシティと対峙したときなどに強くおもう
みなさんはそんなことに遭遇していないでしょうか!?

そんなことのあるシーンをSFにしたような
そんなイマジネーションをふくらませる時空間を有したSF長編小説だとおもった

ぼくのなかで、読後のいまも強く印象づけられ
チャペックからのメッセージとして光り輝いているので
ぼくの備忘のため大量かもしれないが下記転載させていただきたい
問題はこうなのだ──そもそも人間には、幸福になる能力があるのかないのか。幸福になる持っていた時が、一度でもあるのか。どの生物でも同じだが、一個の人間には、たしかに幸福になる能力がある。しかし、人類となると、絶対にだめなのである。人間の不幸はすべて、人類になることをよぎなくされたところにある。あるいは人類になることが遅すぎたところにある。つまり、その時には、人間はもう種々の民族・人種・信仰・身分・階級、すなわち、富めるものと貧しきもの、教育あるものとないもの、支配者と被支配者に、分化してしまっていたのである。馬・狼・羊・猫・狐・鹿・熊・山羊を一つの群に追い集め、一つの囲いのなかにとじこめ、『社会体制』と呼ばれるこの無意味な集団のなかで生活させ、生活上の共通の規則を守らせるがよい。それは、そのなかでは、居心地よく感ずる動物が一匹もいないような不幸で、不満で、どうしようもなくばらばらの集団であるだろう。人類という絶望的なまでに雑多な大集団は、この集団とそっくりの姿をしているのである。種々の民族・身分・階級は、長いこといっしょに暮らしていけないものなので、そのうちかならず、おたがいに窮屈になり邪魔になって、どうにも我慢できなくなるのである。いつまでも、自分たちだけで暮らすか──それは彼らが世界を、自分たちにとってけっこう広いものと感じていられるあいだだけ可能だった──でなければ、対抗して、生きるか死ぬかのたたかいをつづけるかどちらかしか、道はないのである。



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