「札幌」花森安治著「一銭五厘の旗」(暮しの手帖版)から(2)
(前略) 開拓といい、開発という。それがおしきせであり、官製だからといって、責めるのは、あたらないだろう。 90年まえ、この原野に、はじめて町を作ったのは、政府の開拓使である。この官製の開拓事業がなかったら、当時としては、どうにもならなかったにちがいない。 いまもおなじである。人はすくなく地力は貧しい。大きな資本と、つよい力がなければ、どうにもならない。 しかし、兆のケタの予算を投入したら、それで、開発はできるのだろうか。 明治初年、開拓使の仕事には、ことごとく壮大な夢と、たぎる情熱があった。その夢と情熱は、本庁頂上の旗となって寒風にりんれつと鳴っていた。 その旗は、早くあえなく下ろされたが、そこに鳴った音は、ながく人々の胸に鳴りつづけ、そこにかかげた星は、ながく人々の心に、一点の灯となってかがやきつづけたのである。 風雪に耐えた一世紀。 いま、花々しいかけ声で、開拓が再開されているが、そこには、一片の夢も、ひとかけらの情熱もない。 目の先のソロバンをはじくことだけが器用な、したり顔した秀才づらが、東京の空を気にしながら、巨大なコンベアーを器用に動かしているだけだ。 かつて、寒風にりんれつと鳴ったあの壮大な歌声は、もうどこにも聞かれなくなった。 この町は、歌うことをやめた。 旗音はやんだ。 理想の星は消えた。 かつて、かがやかしい理想をかかげて立っていた時計台は、小ざかしい夜間照明に残骸をさらし、その破風に星が打たれてあることさえ、しらぬ人がふえた。その鐘の音は、すさまじいトラックの騒音にかき消されて、きくすべもない。 かつて、若い情熱をたぎらかせ、新芽を空にのばした北大のポプラ並木は、枯死寸前、観光客の失笑のまえに、老残の身をさらしている。 これが、札幌なのか。 これが、かつて新しい町づくりの夢を託した札幌なのか。 〈理想〉という言葉は、色あせ、汚れ、たれもかえりみなくなった。〈理想〉なき人間が、したり顔で国つくりをいい、人つくりを説いている。 そして、札幌は、いま泥まみれの盛装に飾られ、花やかな挽歌につつまれて、東京のご都合主義の指さす道を、歩こうとしているのだ。 札幌よ。 その鉛いろの空とビルの上に、 いま一たび、新しき旗をかかげ、 りんれつと寒風に鳴らしめよ。 札幌よ。 いま一たび、ここにかがやかしき星をかかげ りょうりょうと北風に歌わしめよ。 老人すでに黙すとあれば、 若き者たて。 男子すでに志を失うとあらば 女子立て。 立って、日本にただひとつ、 ここに、理想の町つくりはじまると世界に告げよ。 Boys and Girls, Be Ambitious! (73号 1964《昭和39》年2月)
2008年02月25日
日本は1968年度、農薬総生産量および農薬使用量が世界第1位だった(若月俊一著「村で病気とたたかう」)引用
http://blogs.yahoo.co.jp/hagetaka0/53756939.html
日本は1968年度、農薬総生産量および農薬使用量が世界第1位だった(若月俊一著「村で病気とたたかう」)引用
http://blogs.yahoo.co.jp/hagetaka0/53756939.html