家出と思い出話をちょっと・・・

 
「家を出る日のために」辰巳渚・著を読んで、もう、ずいぶん時間が経ってしまった。
先ほどから、読後、例によって印象的なところを書き写したものを立て続けに三つ全文引用でアップした。

著者の『あとがき』から、ぼくが家を出たときの様子など、簡単に記しておこうと思った。この本を読むまで、思い出すこともなかったくらいなんだけど。確かに人生の重要なターニングポイントであることに違いはないと思った。

・・・この間、いろいろあって(爆!?)・・・

中学二年になってすぐに父親を亡くしてから、家出を常習としていた。おもに二人の同級生宅に住み着いていた時間がもっとも長かった。ほかは嫁いだ姉の家や懇意にしている親戚にと食うために渡り歩く生活だった。

あきらめていた高校だったが行くことができ油絵の具代やキャンバス等金のかかる美術部に入ったことで牛乳配達やその集金で稼いことを余儀なくされた。そういえば、高校の美術部部室も、いい住処だった。暗幕を張って、なかでインスタントラーメンを作って食べたり、先生の部屋に侵入してはウイスキーを頂戴したものです(笑)

家出をしては母親に見つけられ家に戻りつした。母は辛抱して家にいるように説得されたが正直、詳細は省くが居場所を見つけられなかった。

二十歳過ぎに、少し母と知り合いだったあこがれの阪大医学部教授宅の二階をアパートに改造、貸してくれるというので引っ越した。6畳一間に加えて半畳程度の板の間に流し台とガスコンロ一つの炊事場がついた部屋。必要最低限の食器類と卓袱台、1平方メートルの洋服ダンス(これはいまも健在!)と製図台、そして、当面のシーズンを過ごすだけの衣類と布団程度だったように思う。

風呂は近くの銭湯に行き、食事はほとんど自炊、それを期待し、たのしみにしていた。自炊は、小学6年のときにキャンプなど手にしたジュニアリーダーという資格を得ていたことが役立った。あとにもさきにも、ぼくの資格はこれだけだし資格ともいえないでしょ(爆!?)小さいときから母のする針仕事や料理を見よう見まねでやっていたことが大いに役立った。

洗濯はアパートでひとつ用意してくれていたローラーのついたものを共同で使っていた。もちろんトイレも共同。当時、バスで夜間のデザイン学校に通い、帰宅途中、いまの、なんば花月の前にあるスーパー、当時A&Pといったと思うし、いまもあると思う。そこで買い物をして、帰宅後、宿題に取り組み、たいてい、夕食は12時をまわっていた。

ときどき、江戸っ子のタクシーの運転手さんの部屋で、週に一度くらい、一緒に銭湯に行き、にぎり寿司にするネタを買っては、寿司を握る運転手さんのうんちく話にいろいろ耳を傾けながら、ウイスキー、とりわけハイボールがお好きなようで、それを飲みアパート住民数人でにぎやかな時間を過ごしたのがいい思い出です。

思い出は尽きませんね(笑!?)



ぼくの思い出話に興味のあれば、下記に少し触れているようです。
「家出」で検索したものばかり拾ってきました。参考までに・・・

ブックレビュー!?「家を出る日のために」辰巳渚・著
http://blogs.yahoo.co.jp/hagetaka0/53891387.html

なみだ、なみだ、なみだ...
http://blogs.yahoo.co.jp/hagetaka0/52586631.html

筆のしずくは涙なり
http://blogs.yahoo.co.jp/hagetaka0/46951706.html

いすゞのトラック...CMソング
http://blogs.yahoo.co.jp/hagetaka0/40648827.html

叱らないで...青山ミチ
http://blogs.yahoo.co.jp/hagetaka0/36163691.html

岩をも砕いて生きる松の木
http://blogs.yahoo.co.jp/hagetaka0/843241.html