ゆく河の流れは絶えずして...

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一昨日、夕暮れ時、出先からの帰宅途中、大きな通りに並行して走る電線に、つばめ2羽を発見、おそらく、つがいなのは明か、なんだかうれしくなって電線を見上げていました。下から見るその姿は生きた芸術品ですね。燕尾服に代表され、ツバメ返しなど秘技と表現されるように、その尾の美しさ、鮮やかに機能美を持ち備えているのでしょう。思わず、しばらく、見とれていました。

すると1羽が颯爽と電線から離れ落ちるかのように歩道分の短い距離を見事な双曲線を描いて、車の点検・修理の古いお店のシャッター手前の側壁の巣へ留まりました。いやぁ、いうまでもなく、その動きは鮮やかです。暑い日に涼を感じる瞬間でした。

ずいぶんわが家に近いところに、それも、こんな車走行の頻繁な交差点で発見するなんて。いままで気づかなかったのが不思議!? ぼくの住んでいるところは大阪市内でも数少ない戦火を免れたところですから、もっとしっかり見渡し探せば、きっとたくさんのつばめたちとその巣を発見できるだろうと、今夏のたのしみをいただいたように思いました。

「ロビンの生活」に端を発して、巡り合えた「トマス・ハーディ全詩集」「第七詩集 人間の見世物」(森松健介訳 中央大学出版部)のなかの「忠実なつばめ(The Faithful Swallow)」の読後感です。

意味の奥深い詩ですよね。ぼくには寓話のように読みとれます。
まるでぼく自身のことを指摘されているようで恥ずかしくなります。
頑固なのも大事だけど、柔軟性も持ち合わせなきゃとも、タイミング、人生のターニングポイントを、いつ、どこで、どうとらえ、どう向きあうのか、解決方法は、選択方法などなど、いや、なんかいっぱい考えさせられます。

安住の地なんてないのかもしれない。その地は、すべてがそうであるように、常に留まっていないんだ。ぼくたちひとりひとりのこころのなかにこそ、安住するところがあって、少なくとも、実体のあるモノの上にもなかにも存在し得ないのだとも思います。