「木戸をあけて」そして「小さな手」


家出を常習(笑!?)としていたぼくの思い出の曲

木戸をあけようにも、木戸はなかったけど(笑)
また、捨てられない遠いあこがれや遠い旅など
なんにも野望などなかったけれど

現実逃避以外のなにものでもなかったけど
このときの体験は
つらいことの多いいまの人生をあたたかくしてくれているようにおもえるし
あたたかい、そう、第三者の目線で、自分をみつめることができているようで
なぜか、とっても勇気をもたらしてくれるようにおもうんですよ

帰り着く母の胸元も、いまは、どこにもないけれど
人生の旅は終わらないけれど
ぼくのこころを熱く生かしてくれているエネルギーなのは確かなようだ

このオーケストレーションが感情ゆたかに表現してくれているようでうれしい
高音と低音部で奏でられるストリングスが波のように襲ってきて
それに負けじと、抗しようとする勇気となって奮い立たせてくれる
青春の、いまもぼくのなかに生きる鮮血の歌であり詩といえそうです

ほんのちょっと短い時間、ピアノが顔を出します
それが家出する少年の童心のようにぼくには映っているんですよ

このアルバム「彷徨」みんな、そらで歌えちゃうのも
俺たちに明日はない的な、燃え尽き、焼き付いた青春の形見でしょうか



そして、陽水の「小さな手」
まったくといっていい同時期の曲なんですね
青春のその後、いまあるぼくの青春回想シーンがこの歌詩にあるようにおもいます