カレル・チャペック短編集 (3)




Wikipedia「パズルの定義」には、論理学的には、複数解が矛盾してしまう「ジレンマ」、論理的に解けそうでいて不思議と解答が見つからない「パラドックス」に対して、唯一解が出せるものを「パズル」と定義することができる。とある。

もちろん一編一編異なるわけですが、全体として読んでいて「ジレンマ」「パラドックス「パズル」これら3つの要素!?が秩序ある混在を果たしている、そんなイメージをもちました。なんとも奇妙なそして神秘的でもある世界が広がっているのです。それが、とてつもなくぼくのこころを惹きつけて離さないのです。

故意に太いメビウスの帯の真ん中をさらにカッターナイフを入れていく、それをさらに繰り返し、紙の幅がカッターに耐えられなくなるくらい遊び続けたことがあります。また、
だまし絵(トリックアート)というのは不適切かもしれませんが建築不可能な構造物や、無限を有限のなかに閉じ込めたもの、平面を次々と変化するパターンで埋め尽くしたもの、など非常に独創的な作品を作り上げたエッシャーの世界にもチャペックを紐解くキーがありそうに思います。

TV番組「タモリの『世にも奇妙な物語』」の影響ではないでしょうが、サティのピアノ音楽と相性がいいかもしれないません。ときにはドビュッシーだったり、ラヴェルだったりと多彩な音色の展開が各編にうかがえる作品でもあるように思います。たまたまですがmixiミュージックからガリーナ・ウストヴォーリスカヤピアノソナタ第3番が耳に飛び込んできたのですが、彼女の無秩序とも思える力強い抽象的な響きとも合ったように思います。また、アニメでも実写版でもTV番組をたのしみましたが、藤子不二雄Aの「笑ゥせぇるすまん」にも、どこか似たテーマがあったような気もしましたが…(笑!?)

不協和音の響きを醸し出しながら、それでいて、きちんと落ち着くところへと導き誘ってくれるのはチャペックのやさしさにほかならないのではとも思います。

ぼく個人的に、自分に鞭打つように読んだのは『マルタとマリエ』でした。『針』ではトルストイの人生論を思い出しました。『雪の上の足跡』は問題点が問題!?最後の結末も問題!? 『人間の最後のもの』の最後は、日想観といったものに通じるのでしょうか、このところの沈む夕日の美しさに、きょう一日や人生の終焉にあたって安らいだ一条の光をさしていただいたようでうれしく思いました。

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