カレル・チャペックの警告

CHANGE ! を実現する人が耳を貸さなければいけないことの多くが語られています!
このことはまた、わたしたちが実行しなくちゃいけないことともおなじなんですよ!




・芸術と貧困
多くの造形芸術家の貧困に対し、とりわけその死後、芸術作品でなくそのサインを売買するパラドックスを説いていて、デザイナーのぼくとしては興味深い。サインがなくなれば芸術価値がなくなる芸術、投機対象になっているのは、今も昔も変わらない。「チャペックのごあいさつ」中でも『美術品あさり』で、若干切り口が異なるがこのテーマに触れて語られていた。

・壁にそって
いまこそ、中小零細企業にテコ入れし、さらには労働者にはワークシェアリングを法制化してでも実現すべきときだと思うのだけど・・・20行と実に短いエッセーだけど、チャペックのやさしさがうれしく、勇気をいただけた。

チェコの作家よ──なにゆえに沈黙しているのか?
・不毛の地
日本でも、そして、こんにち、いまのいまでも、いえるでしょう。
諸君、祖国は危機にある。国民の質の問題なのだ。
悪い慣習は悪い法律よりも始末が悪い。悪い法律はいつでも廃止できるし、改正もできる。しかし、悪い慣習は持続し、なんらかの単純な投票行動の訓練では廃止できない。だから私たちは慣習になりそうなものにたいして異常なほど気を使っていなければならない。
『経済は100年に1度の暴風雨』(麻生太郎首相会見)
わが国は、ずっと官僚政治と金権政治の悪質下にある。このことは、国民の質イコール政治家の質の問題なのだ!(私見

・耳から耳へ
何事かあると、すぐ役所に駆け込む、怒鳴りこむのはどこの国でも同じでしょうか。私たち一人一人が役所になればいいのです。
人間をまともな行動と責任に従わせるようにすることは(中略)警官を呼ぶのはやめて、市民を呼びましょう。道徳的アナーキーは政治的アナーキーの慢性化したものです。この悪をやめさせることが国家の本当の仕事です。
日本だけじゃないようですが、政治的だけではなく役人・官僚的アナーキーも加えなければいけません。
モンスターペアレントなどが巣くう風土の一端等こんにちの悪の多くも、こんなところに元凶があると、ぼくは考えています。
沈黙することで、あなたも悪に協力していることになるといった厳しいメッセージも。




・二つの慣用語
山積する課題を前に誰もが口にする「誰かがなすべきである」、「問題はそれほど単純ではない」という。この解決をチャペック氏は説いている。
実行する誰かがいなくちゃいけないこと、そして単純ではないと考えること。当然すぎますか! このふたつ自明のことですよね。でも、責任ののなすりつけあいや議論を繰り返していてもなんら問題解決にはならないのですものね。猫の首に鈴をつけに行くものが、いつの時代にも求められます。
誰かが溺れているときに、誰かが水に飛び込んで彼を救うべきであるという理性的意見だけでは足りない。歴史は誰かが何をなすべきであると提案する人よりも、むしろ何かをしている人を必要とする。 





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