「酒とはなにか」花森安治(著)その1

 
役人、公務員、官僚、政治家たちに、そして、酔っぱらいに、ここに記されているように、世界と等しく、それ以上に、厳しい法整備が、一刻も早く望まれます。

未熟な民主主義のかたちが、ここにも露呈、如実にうかがえるところです。

私たち日本国民に、世界に人権問題を避難する資格があるように思えません。私たちが、いちばんとはいわないまでも、上述のほんの一握りの権力者たちに人権を侵害されている、思いのままに操られているといっても過言ではありません。

下記、46年前の花森安治の提案以上のことを実現しなくちゃ、さらなる世界の恥をかかえることになりはしませんか。

酒とはなにか

まことにわが日本は酒を嗜(たしな)む人のためには天国である。現代文明諸国中酒を飲み過ぎ自(みずか)ら招いて弁識能力を失い他人を殺傷した犯人を法律を以てこれ程厚く保護している国は稀(まれ)であろう
                   昭和三一年七月五日
                   京都地裁判決理由から 

(前略)

 事件のおこったのは、昭和三十年六月十七日午後七時であった。
 工員ふうの男は、四条大宮病院にかつぎこまれた。一時は危篤状態に陥ったが、それでも命だけは取りとめた。
 刺した男は、その場でつかまった。
 殺人未遂で起訴さ九、懲役五年を求刑された。
 一年たった三一年七月五日、京都地裁で判決の言い渡しがあった。
 〈無罪〉であった。

(中略)

裁判所は、そのときの男を、心神喪失の状態であった、と判断するより仕方がなかった。わが国の刑法では、善悪をわきまえる力と、そのわきまえにしたがって行動する力をもっていないときにやったことは、どんな罪でも罰せられない。だから、
 「……酩酊状態において行った犯罪について例外を認めていない限り、裁判所は行為者に対し無罪の判決を言渡す外はない」
 と、このときの判決理由をのべている。
 はじめに引用した文章は、このすぐあとにつづくのである。

(中略)

 WHO(世界保健機関)に、各国のアルコール中毒患者の人数の報告がある。
 おもなところをひろってみると(人口十万に対して)
 ・アメリカ     3952人
 ・フフンス     2850人
 ・スエーデン    2580人
 ・デンマーク    1950人
 ・ノールウェー   1560人
 ・イギリス     1100人
 ・イタリー      500人
 アメリカあたりをみると、老若男女みんな入れて、ざっと百人に四人はアルコール中毒だということになる。しかし、その中には、こどもや、大人でも酒をのまない人間もいるから、大ざっぽに計算すると、どうやら、酒をのむ人間が十人いたら、ひとりはアル中ともいえそうである。
 日本は、どうなのだろうか。
 このWHOの報告のなかには、見あたらない。どうして日本は報告しなかったのか、わからないが、たぶん、どうにも、しらべようがなかったのだろう。

(中略)

 日本では、いまのところ、これはしらべようがない。しかし、もし、しらべることができたら、どれくらいになるものだろうか。
 ある専門家は、たぶん百人に五人くらいじゃないか、と推定している。十万人に対して五千人である。あたりまえでない酔い方をする人間が、アメリカよりも多いことになる。
 問題は、そのあたりまえでない酔い方を、世の中が、あたりまえでない、とは考えていないことだろう。世の中が、そういう酔い方を、むしろあたりまえ、酒をのめば、それくらいのことは当然おこるさ、と考えていることである。数よりも、この考え方のほうに、じつは、大きな問題があるのではないか。
 そういえば、京都の裏町を、短刀をポケットに入れて男がひょろひょろと歩いていたとき、誰も、とくべつにこれといって注意を払わなかった。しようのない酔っぱらいが一人歩いている、といったくらいにしか見なかった。
 それは、暮れてゆく町のどこかに、必ずついている小さなシミの一つみたいなものだったのだろう。

 もちろん、あなたではない。あなたの知っている人としよう。
 その人が、ぐでんぐでんに酔っぱらって、道を歩いていたとしよう。向うから、おまわりがやってきた。さあ、どういうことになるか。
 それが、どういうことになるかは、じつは、そのとき歩いていた道が、どこの国の、どの町か、ということで、ということで、だいぶ様子がちがってくる。
 まず、東京としよう。
 べつにどうということはない。おまわりさんだって、忙しいのだから。もっとも、そのおまわりに、やいこの税金ドロボーとののしるとか、通っている女の人にだきつこうとしているとか、よほど目に余るようだと、例の酔っぱらい防止法で、「保護所」に送られて一晩とめてくれる。宿泊料はとられない。国民の税金で、ちゃんとまかなっていただける。
 おなじことが、ロンドンでおこったとしたら、どうなるだろう。
 もう酔っぽらっていただけで、五百円の罰金である。それも、おなじことを一年間に二度やったときは、千円。三度やったら二千円の罰金をとられる。
 酔っぱらっているだけでなく、いかがわしい歌をうたったり、女の子をからかったり、街路樹を折ったりしていたら、一回目でも二千円、そして当然警察へひっぱられるが、そこでまたさわぐと、もう二千円、しめて四千円の罰金ということになる。
 もちろん、払えない人間だっている。そのときは、罰金の額に応じて、ぶちこまれる。
 イギリスでは、もう一つ、おまけがついている。酔払っているとき、こどもを連れていたら、ひどいことになる。
 その子が7才以下だったら、酔っていただけで二千円以下の罰金、それが払えないと、一ヶ月以下のムショ送りになる。
 では、これが、花のパリだったら、どうことになるだろうか。
 ぐでんぐでんに酔払っていたら、べつに女の子にからんだりしなくても、酔払っているだけで、百五十円から九百円の罰金。
 それくらいなら払える、とおもってはいけない。二度目には、三日以内の拘留とくる。三度目にはぶちこまれる。(六日以上一カ月以下)それがイヤなら三千円から五万円程度の罰金を払わねばならない。
 そこまでは、まあよいとして、フランスのおまけは、イギリスより手きびしい。
二回以上酔っぱらいで処罰された人間は、向う二年間、公民権を停止される。選挙もできない、公務員や陪審員になれない。任命試験をうけられない、ピストルを持てない。
 もうひとつ、フランスには、一風かわったおまけがついている。
 酔払っていて、おまわりにつかまる。おまわりは、警察へひっぱってゆく。タクシーをとめるなり、ひとの手を借りるなり、とにかくゼニがかかる。
 その費用は、罰金とはべつに、酔っぱらっていた本人から、実費をいただくことになっている。そんなものを、国民の血と汗の税金から払っては申しわけない、というわけだろう。
 おつぎは、ローマ。
 ひどく酔っぱらっていて、折も折とて、向うからおまわりがやってきたら、これがトタンに六カ月以下のムショ送り。いやなら、五百円から九千円くらいの罰金。
 では、チェコプラハ。
 ここでは、罰金は通用しない。酔っぱらいは、コトの如何を問わず六カ月以下の拘禁である。
 さて、アメリカは、どうだろうか。
 これは、州によって様子がちがう。ひょっとして、ご存じない方もあるかもしれないが、例の禁酒 法、これがミシシッピー州だけには、厳としてまだ生きているくらいである。
 その外の州では、まずワシントンDC。ここで酔っぱらっていたら、九十日以下の拘禁か、三万六千円以下の罰金。
 テキサスでもおなじだが、ここでは、自分の家以外は、友人の私宅でよっぱらっていても罪になる。
 ウィスコンシン州では、三万六千円以下の罰金というのはおなじだが、汽車、電車、バスで酔っぱらっているとつかまるし、その中で酒を売るのも違法である。だから、大陸横断列車の食堂も、ウィスコンシン州を通過するときは、酒を出さない。
 マサチューセッツでは、酔っぱらって、なにか他人の迷惑になることをした人間は、一年以下の懲役である。
「酒とはなにか」花森安治(著)その2へつづく