生きて暮らすこと【全文引用】「家を出る日のために」辰巳渚・著より

 花森さんの書いた文章に、こんなものがある。昭和20年8月15日、日本がポツダム宣言を上入れて、戦争が終わった日にことを書いたものだ。
「戦争がない ということは それは ほんのちょっとしてことだった たとえば 夜になると 電灯のスイッチをひねる ということだった たとえば ねるときには ねまきに着かえて眠るということだった 生きるということは 生きて暮すということは そんなことだったのだ」(「見よぼくら一銭五厘の旗」より)
 戦争中には、敵機の目安にならないように、電灯も自由につけられなかった。寝るときには空襲に備えて、すぐ飛び出せる服装で寝たものだった。戦争が終わったことで、暗くなったら電灯をつけるとか、寝巻きに着替えてゆっくり眠るとかいった、あたりまえのことのありがたさを知った、ということだと思う。
 あたりまえのことを、あたりまえに営むことこそが、生きることであり、生きる喜びでもある。それは、いったん失ってはじめて、身にしみてわかったのだろう。
 私の知り合いの小児科医が、「いまは、戦後の焼け野原と同じです」と言っていたことがある。私は、この言葉を聞いて、いまの暮しには、花森さんが戦後に「生きて暮らすこと」のたいせつさを唱えたのと同じことが起きているのだと、痛感した。

(中略)

国や企業やひとりひとりのみんなが、がんばって働いていれば、「幸せな暮らし」はあとから追いついてくると思っていたら、追いついてくるどころか、「ほんとうの暮らし」が失われてしまった。というのがじっさいのところだったのだ。
 私は、やはり、まどろっこしいようでも、物を目指し、商品に追われる生活とは別のところにある、等身大の「暮らし」からはじめなければならなかったのだと思う。

あたし暮らしの知恵
 私の知り合いの小児科医が「いまは、戦後の焼け野原と同じです」と言ったのは、多くの人たちが「いままでのやり方は失敗だったかもしれない」と少しずつ気がつき、「でも、どうしたらいいのかわからない」と困っているということを指したのだろう。そして、「家族」や「食」や「健康」といった、ひとりひとりの暮らしの土台にかかわることが壊れていることを、心配していた。

「家を出る日のために」辰巳渚・著より



*下記、参考資料