富岡鉄斎(3)淡彩山水図

淡彩山水図 賛 明治11年 43歳  (清荒神清澄寺蔵)
*書の画像省略します(←hagetakaコメント)

(以下、著者の意訳!?のみ)
 田園の生活に満足している者は、身分は卑しくとも心はやすらかで、天下国家の政治にたずさわる者は身体は楽でも心が疲れる。だから水甕をかかえて畑に水をまく農夫は宰相より喜び多く、王侯の美味珍膳よりも粗食で結構満足するのである。と葛洪の言葉を引き、賛としている。


このごろは、やっとというか、どうにか口卑しくはなくなってきたかに思える(笑!?)
生きるために、日々、生活の営みに必要なだけの食事で、十分、満足できるようになってきた。
そして、それが、習慣となってきた。
お腹の具合が、すこぶるいい。
うれしいことでもあり、からだにとってもいいことだと思う。
寒く冷え込むこともあり、近頃は、焼酎のお湯割りをいただくが、それも美味に思える(爆!?)

あとは、極力、PCの前から離れ、散歩する時間を増やせれば、
そして、なによりも、食としっかり向き合い、味わい深め、自然の恵みに感謝する時間を創りたいと思う。

話は変わるが、人生の先輩に、ぼくのようなひとのことを、
「粗野にして卑しからず」といいますよねって、その意味を教えていただいた。うれしかったです。

「貧するとも鈍することなかれ」
「聡明な女は料理がうまい」(女ひとりの優雅な食卓からパーティのひらき方まで)桐島洋子・著から
学習させていただいた言葉です。

格差社会のなかの「貧」意識にも増して、食の安全等が叫ばれるこんにち、
とりわけ、私たちは口にするものに「鈍」感ではいけないと思います。
そうならない食習慣、五感から第六感までを鋭敏に育て、
生命維持、生きることの奇跡に感動できる時間に少しでも多くかかわり合えるようでいたいと思います。

富んで、そこで胡座を組むのではなく、
他国に「飼育されない日本人」で生を全うしたいと思いますが・・・(笑!?)