生きていることのしあわせ...センス・オブ・ワンダー(8)

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生涯をかけ営んできた「生」の最期の死

その死がゴールなのか はたまた 何かのスタートになるのか

死の先に何があるのか 待ちかまえているのか


生涯最大にして最高のイベントに

一瞬先をにらみ 好奇心をもって臨めることの なんとしあわせなことでしょう


死の瞬間においても 時間をもどすことはできないのだから

堂々と臨むより、まさしく開き直るよりほか なにもなす術がない

こう考えてくると時間というものをありがたいと思う


過ぎ去るだけの時間を悲しんできた人生

死の扉の向こう側の先にある時間によろこびとしあわせを望む


私から私に 最期のおやすみを これからもずっと毎日交わす

宇宙のなかの たったひとつの私 なんと愛しいこと

「生」の蘇生を繰り返す毎日が なんてしあわせなんでしょうと思えます



 わたしは、スウェーデンのすぐれた海洋学者であるオットー・ペテルソンのことをよく思い出します。彼は九十三歳で世を去りましたが、最期まで彼のはつらつとした精神力は失われませんでした。
 彼の息子もまた世界的に名の知られた海洋学者ですが、最近出版された著作のなかで、彼の父親が、自分のまわりの世界でなにか新しい発見や経験をするたびに、それをいかに楽しんでいたかを述べています。
「父は、どうしようもないロマンチストでした。生命と宇宙の神秘をかぎりなく愛していました」
 オットー・ペテルソンは、地球上の景色をもうそんなに長くは楽しめないと悟ったとき、 息子にこう語りました。
「死に臨んだとき、わたしの最後の瞬間を支えてくれるものは、この先になにがあるのかというかぎりない好奇心だろうね」と。
    (「センス・オブ・ワンダー」 ・レイチェル・カーソン著・上遠恵子訳より)