「徒然痛心」初心貫徹
しろやぎさんから おてがみ ついた/くろやぎさんたら よまずに たべた
しかたがないので おてがみ かいた/さっきの てがみの/ごようじ なあに
くろやぎさんから おてがみ ついた/しろやぎさんたら よまずに たべた
しかたがないので おてがみ かいた/さっきの てがみの/ごようじ なあに
ほのぼのとした「やぎさんゆうびん」、私のお気に入りの一曲です。
ともすれば「さっき」が一年になり、二年がかりの会話といった年賀状があったりする。
それなら電話をかければと思うが、普段あまり親交のない人だったり、
ここ何年も会っていない人だったりで、かえって先様に迷惑というもの。
とすれば、やはり年賀状がベストか。
否、あいさつを交わすことも拝顔することもないまま、
久しく年賀状を往復させてきたことを自戒し、
そのことに決別すべく始めたのが、そもそもこの「徒然通(痛)心」発信の所以だったのでは…。
年賀状の声を耳にするたびに、正直なところ、気持ちが揺らいでいます。
そう、ほとんど積み重ねた齢に等しく毎年年賀状を出し続けてきたものなぁ。
そんなこんなでいまは迷いもふっきれ、
自分の新秩序樹立のため勇を奮って「徒然痛心」初心貫徹を目指します。
つきましては、日頃のご無沙汰をここに改めてお詫びいたしますとともに、
今後とも変わらぬご交誼をいただきますようお願い申しあげます。
なお、これからは「徒然痛心」にて日々のごあいさつに替えさせていただきます。
(1990年12月27日)