丸谷才一著「女ざかり」抜粋引用

 
下記コラム、すべて、丸谷才一著「女ざかり」より抜粋引用です。

ぼくの虚礼廃止事件(笑)の大きな支えになったものだと思います。

対称性人類学 カイエ・ソバージュ講談社選書メチエ)中沢 新一 (著)全4シリーズ!?にも
採り上げられているかと思いますが、大きな影響をうけました。

これらのメッセージを書物だけのなかのこととしてはいけない。実践しなくちゃと確信、決意しての、こんにちのぼくにいたり、またこのブログ発信の根底に据えているものです。ぼくは映画は見ていませんが(笑)吉永小百合主演の映画にもなった原作ですね。そんな背景に描かれていた小説には、下記のようなことが記されているんだって知っていただければ幸いです。

「互酬。互いに酬いる。英語ではreciprocityですね。ええと、相互関係とか交換とか」
社会学に交換理論といふのがあって、人間は贈り物をもらつたら、きつとお返しをする、といふのからはじまつて、何で物のやりとりで説明するんですな。もちろんさういふ面もあります。お中元とか、歳暮とかね。一般に近代生活のなかに残つてゐる古代的局面として要約されるでせう。クリスマス・カードやクリスマス・プレゼントもさうでせう。日本人がはじめて会ったときの名刺のやりとり、あれなんか典型的ですな」
「ね、さうでせう? あんなのは拡張解釈ですよ。あの交換理論といふのは、経済関係を妙に濁らせるせいもあって、嫌ひなんです。もちろん、中元や歳暮は日本経済にとつて重大ですよ。一般に贈与が盛んなせいで経済が活発になるといふのは本当です。でも、生産性といふ決定的に重要なものをとかく忘れがちなんですね。クロネコヤマトだけで日本経済が動くのぢやない。それが第一。第二に、贈与といふのは風俗ですから、それぞれの文化によって非常に違います。従つて経済を説明する普遍的な条件となりにくい。そして交換理論を大事にすると、ときどき考へ方が下等になるんですな。あれが困ります」
その点、西洋人はあまり贈り物好きではない。もちろんクリスマス・プレゼントはする。それから誕生日のお祝ひも。しかしどちらもやりとりの範囲が狭い。まして日本人みたいに、何につけても贈り物といふわけではない。たとえば香奠などまつたくない。贈り物の額も日本人にくらべて格段に低い。日本の選挙はとかく政策の対立点をぼやかしがちで、党を選ぶことがむづかしい。これはもともと日本人がお互ひ同士、妥協と譲歩をしすぎるためだ。これでは近代代議政治が可能かどうか疑はれるくらゐだが、それはともかく、あの妥協と譲歩も一種の贈り物。
一体どうしてこんな不思議な国が生じたのか。これはむづかしい問題だが、おそらく日本が、表層はともかく深部において古代的=原始的なものを極めて多量に残してゐる国だからであらう。われわれは近代化された様相だけにとかく注目しがちだが、実情はもつと混沌としてゐるのだ。
古代人にとつて、贈与はつまり契約であつた。

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