つれづれ痛心...はじめに

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姫路(白鷺)城西濠にて...シラサギが休憩しています(笑)

 
私は、虚礼廃止しています。いわゆる暑中見舞いや年賀状等を扱いません。もちろん、お中元やお歳暮といったものも同様です。それにともない「つれづれ痛心」を不定期に発信するようになりました。

無意味なメッセージがたくさんあることに、小さいときから疑問を抱いてきました。
この問題を解決してくれた、また今日の私を確立するきっかけになったのが、1989年のドイツ旅行でした。ドイツで人々の生活や社会に触れ、私の目的とする道は間違っていないという確証を、確かなものにしました。
私の夢を、理想を、考えを、生き方や生活を、このまま貫いて決して間違いではないと確信しました。
日本における現実社会とのはざまで、多くの人とは違うであろう生き方のギャップに辛い気持ちを感じながらも、これまで以上に自分に厳しく生きる道を求めるようになりました。これからも自分で自分に責任を持って、自分の理想とする社会を目指して生きていくつもりでいます。私の幸福が、アイデンティティが、この生き方そのものなのです。

人生のよき先輩から紹介されて読んだ丸谷才一著「女ざかり」という小説と出合ったのも大きな一因ともなっています。共感を覚えた引用は、別コラム「備忘録」履歴最下部に掲載しています。
支離滅裂だったり抽象的だったりで恐縮ですが、私が死守すべき姿勢の一端を、この「つれづれ痛心」に垣間みていただければ幸せです。
私にとって、「痛み」が「愛」であり、「愛」は「痛み」なんです。単純に心を痛めていることの、あからさまな姿、嘘偽りのない姿を告白、描写することにメッセージの真の姿があると思っています。そのメッセージを次代に刻み込むことが、私の使命だと考えています。こんな小さいカタチでしか表現できませんが、私の社会への叫び、警鐘ともなれば幸いです。

詳細は異なるかもしれませんが、私と同じような考え方をされている方が多いのに、今日、改めて驚いています。己に打ち克つ勇気が、決断が、わずかに足りずに現状満足、妥協されている人が多いのも事実だと思っています。目先の家庭生活を維持堅持するためといった理由が大きいようです。それをいえば、私とて同じなのです。
政治経済、行政改革が進まないのも、私たち個々人に起因するところも大きいはずです。少しでも多くの仲間の力が作用して、私たちの住みやすい、生きやすい私たちの社会、国にしていきたいと思っています。