音害...その1(2004.07.22)

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TVニュース情報番組、アナウンス中、ずっとジングル(ループ)BGMが鳴り続ける。とりわけ、ドラムで鼓動音風のものが多く、どうしてここで、その音が必要なのか、まったく理解に苦しむ。アナウンスに耳を傾け、内容を知り、考えたいが、アナウンスを聞くな!とばかりに、はね除けられる思いがする。BGMを聞くまいと、思わずボリュームを下げるが、内容が聞き取れない。本当に、ニュースを伝えたいのだろうかと思う。

ほかにも、話題、シーンの切り替え時に、音を流す。話しの「間」であるとか、映像で内容の変化に自ずとわかるだろうに、ご丁寧にタイミングを見計らって、音を流す。なにをかいわんや!ファンファーレ風のものも、よく使われている。

これらは、おそらく、スタジオ内のスタッフの耳には入っていないのだろう。入っていたなら驚きだ。ミキサー室で、別途、付け加えているんだろう。無知な音の扱いに、あまりにも悲しくなる。

多くの視聴者は自分のなかで、ニュース内容を咀嚼し考察するのではなく、単にBGM風に、己の時空間を満たし、満足を、そして快感を得るために画像を、また音を流しているだけなのだろうか。

なにもかもが自己とは無関係なドラマの世界として存在するのだろうか。

私は、人が「切れる」ということと、このジングル音や電子音は無関係でないように思う。
また、人の声がどんどん高音になっているのも、これらのことに起因するように思う。
音、耳、声、脳、これらと人間の進化あるいは退化、思考回路分析、犯罪等々、そして自己との関わり、自己確立を追求すること、決して愚かなことではないように思う。

これらのことを通して、人と人、人とモノ、われわれと社会の希薄な関係に恐怖を覚える。

自己確立できない人間を育てているように思われてならない。
ああ、また、ここでも、限られた時間を無駄にしているように思われる。


BOSE クワイアットコンフォート2(http://www.bose-export.com/headphone/qc2/index.html)が欲しいと思う。音害をシャットアウトするにはあまりにも高価な買い物に違いない。我が身から、また耳から、音害を干渉吸収してうち消すような能力を創造できないものだろうか。

(2004.07.22)

その後、BOSE クワイアットコンフォート2を愛用しています。(2005.07.22記)


【写真:マンション・エントランス天井】