患者を超えて社会の看護を

 
「あなたが身勝手な行動をとるなら、私たちは、あなたの看護を放棄します。」温かいおしかりに涙を抑えることはできませんでした。

2年前(この手記を記したとき、現実には1993年のようです、ぼくには記憶しようという意志が根本的にありませんので...)、頚椎の手術、予定では90日の入院生活でしたが、約40日間入院。その半数は、ほとんど寝たきり。

その後、首を固定していたものの、座れるようになってからというもの、会う人会う人に、元気だから早く歩かせて、早く退院させてと訴える日々が続きました。「土日は看護も手薄だから、今度の月曜日から歩行できるようにしましょう」ついに、ドクターのOKサイン。辛抱すればいいもの、また相部屋の患者さんが引き留めるのにも耳を貸さず、「月曜日も今日も大差はないし、大丈夫。責任は自分でもちますから。」と立ち上がり、2、3歩壁を伝い歩き、手は冷や汗でじっとり。倒れないようゆっくり手すりにそって廊下をトイレに向けて歩行中、看護婦さんと視線が合ってしまいました。

すぐさま、「なにしてんのん、まだ歩いたらあかんやん」すぐさま、抱きかかえられるようにベッドへ連れ戻されました。それからというもの、看護婦さんみんなに叱られっぱなし。そして果ては、あなたの看護を放棄しますという、あたたかい言葉。放棄という言葉の裏側に看護の責任や使命感といったものを読みとりました。

与えられることに慢性になっている社会のなかで、看護は、意識せず気づかないでいると、容易に患者に都合のいい「甘えの構造」のなかに浸かってしまいがちです。病院生活で、各人各様の「甘え」をたくさん目にしてきました。

早期退院、早期社会復帰が望まれるにもかかわらず、癒そうという精神からはほど遠く、この機会に、ゆっくり休ませてもらおうといった定住派がいっぱいだった。おのれの病気を他人事のように、ある種商品化してしまっているように、私には映りました。

このままだと、バブルな人間の温床になりかねない。いや、もうなってしまっているのだろう。私のとった恥ずべき行動は、私にワークとしての看護を考えると同時に、看護と背中合わせの患者の姿勢、アイデンティティーを問い直すことになりました。

看護からみれば、患者自身の自己の危機管理意識。看護に限らなければ自己の責任管理。おのれ自身を見つめ、問い直す時間を社会全体でもたなければいけない。

いま、社会全体に、厳しい看護が求められている。

おなじような想いでいる看護婦さん、看護士さんがおられることを望みたい。また、手をあわせて互いに社会の看護に携わりたい、そうできればと思っています。


自営業なので入院中は無収入、生命保険にも加入していない。蓄え備えもなかった。事務所を引き払い、戻ってくる権利金で、当時、妻と中2中3になる子供らの生活費と、事業の借入返済、手術入院費用に当てた。独立独歩の生活、生き方を貫いてきた。

相部屋の他の5人の患者さんのように、失礼ながら、のんびりはしていられません。早く退院し働かねばならなかった。一日でも早く退院しなければいけなかった。

私の病院生活、お世話いただいた看護婦さん20数名。私の容態等はもちろん引き継ぎされ、私の失態なども、即伝わっていた。

看護婦さんは、なによりも患者を健康な人として、社会へ復帰させるよう、常に努めておられる。

医師と患者の看護ということの認識不足を知りました。

それから一年後のこと、初めてカヌーに乗る機会を得た。岸から足が離れカヌーに乗り移った瞬間、普段の生活とは全く異なる時空に身を置いている自分に気づいた。

川の流れに病院生活は、たとえば、ちょうど自然の懐へ抱かれるかのような大いなる愛を感じた。

川の流れのなかでカヌーと秩序ある行動をとらねば、川の中へ放り出される。

そんなことを思い知った。

若い頃、脳神経外科医をめざしていた。同級生には助平なことから、産婦人科の間違いじゃあねぇのか!?って笑われていた。
いまは、まったく違った道にいるが、万が一ぼくが、ドクターになっていたなら患者さんと接すること、このブログと同じように、真正面から、患者さんと向き合っていただろうと思う。

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