ここにも自己責任(2004.07.11)

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写真の団扇、税金の無駄遣いと思う。投票を呼びかける広告宣伝の類、挙げれば枚挙にいとまがない。ポスター、社内づり広告等々。街頭宣伝車も出て投票を訴える。どれほどの効果があろうや?

国が破綻状態に陥っているというのに、こんな税金の無駄遣いが、私たちの意志とは無関係になされている。一銭の余裕もないというのに。是非もなく大きな節約が緊急課題なのに。借金の膨大さからいえば、たかが知れている額だと言い切れるのでしょうか。

私たち国民が自己責任、自己確立を果たせば、こんな無駄遣いもしなくて済む。否、こんな無駄遣いはこれっぽっちだって許さない。民意が通じなきゃ民主主義じゃない。日本の民主主義は、革命といった、私たちの力、血で手にしたものでない、本物がもたない脆弱性がある。民主主義を語るほどのものは何も一切もちあわせていないが、このことは誰の目にも、決して間違いない明らかな事実のはずだ。

自己責任という言葉が、一時期、イラク人質事件に関連して、ずいぶん叫ばれた。多くの人が自己責任を問うて人質の3人にバッシングした。そんな資格をどれだけの人が持ち得よう。
生きている限り、死ぬまで、自己責任を持ち続け、自己確立し続けなければいけないんです。

こんな団扇を手にして涼んでいる場合ではない。熱いどころでない灼熱の借金風を受けていることに気づかなきゃ、対抗、対策、解決しなくちゃいけないでしょうに…。

政治に、行政に厳しくあるまえに求められるのは、すべて自己責任、自己確立です。
厳しい自己責任をもつ人たちの築く社会が、真に求められる国であり、グローバル・スタンダードな国として認められるのです。
なによりも先に、一国の主、小泉首相に自己責任を求めたい。

2004年6月8日から10日まで開催されたシーアイランド・サミットで、TV番組Gメン'75風に横一列に海岸を歩く各国首脳たちのなかに、手を大きく振り肩で風を切って歩いている主をみて、ピカピカの一年生ってイメージ、幼いなぁ、恥ずかしいと思ったのは私だけでしょうか。もっとも、右隣のブッシュアメリカ大統領にも、同じガキ大将風イメージがみてとれた。各国首脳の態度に歴史、伝統、自己責任の重さ、大きさを感じた。

相変わらず、話がどんどん、とりとめもなく道草を食ってしまった。
丸谷才一著「男のポケット」のように記すことができればいいのだけれど。

(2004.07.11)

【写真:ここで話題の団扇・・・で、一句】

ドドーンと 空に虚しい 無駄遣い

(団扇は一本しかありません。両面をみてもらうために表裏2枚の写真を撮ってAdobe Photoshop CSで1枚に合成しています)