ハイドン:交響曲第45番「告別」



こちらは、通奏低音に、ファゴットが採用されています。
なめらかで温かく柔らかいイメージがします。





こちらの通奏低音は、チェンバロが使われています。
ファゴットチェンバロもこだわりなくたのしめます。



上のほうのハイドン:交響曲第45番「告別」に戻りますが・・・
交響曲45-47番では、ホルンの響きがなぜか象徴的に扱われ、
オーボエもそうですが、ただただ天国的なほど!?美しい響きを醸し出しています。

「これは奇妙で憂鬱な小品だ。」ゲヴァントハウスでの一連の「歴史的」演奏会で1834年2月22日にこの作品を演奏したあとにメンデルスゾーンはこのように書いている。この曲はまた、18世紀の最も高貴で悲劇的な交響曲のひとつとみなすことができよう。
H.C.Robbins Landon
(訳:飯森豊水

『最も高貴で悲劇的な交響曲』実に言い得て妙だとおもいます。
これら疾風怒濤期の交響曲のみならずハイドンの曲を聴いていると、
モーツァルトのイメージが随所にたくさん現れてくるようにおもえて、たのしいです。

ハイドン:交響曲第45番「告別」この最終楽章ばかりは、視聴しなければ、
たのしみやそのエピソード、沈黙の力、主張といったものを知る上でも、
興味、よろこび、たのしみも半減してしまいます。

で、下記、見つけました。ぜひ、たのしんでください。

楽器、演奏者が減っていっても、美しい調べは、最後の一音まで生かされているのに感動します。
むしろ、少なくなればなるほど、消えた音、楽器、奏者に、
失ったものを蘇らせたい想いが至るようにおもえます。
強欲でいけませんかね!?
ハイドンは、そんなことも、思い描いた、この曲に意図させたと読むのは無理がありますか!?

みなさん、どの楽器も、ちゃんと主張してから退いていくのも興味深いところです。




相変わらずの取りとめもない長話にお付き合いいただき、ありがとうございます。
折角なので、ラデツキー行進曲で締めくくっておきましょう・・・






【蛇足】このブログで採りあげたハイドン、公開したものだけでも、下記ありました。

Haydn: Missa in Angustiis "Nelson Mass" - Te Deum / Lott, Watkinson, M. Davies, Wilson-Johnson; Pinnock
http://blogs.yahoo.co.jp/hagetaka0/60136773.html

ハイドン:ミサ曲第9番「ネルソン・ミサ」&第10番「テレジア・ミサ」
http://blogs.yahoo.co.jp/hagetaka0/60083045.html

「佐川すすむのお料理塾」佐川 進 (著) 表紙デザイン案
http://blogs.yahoo.co.jp/hagetaka0/60015429.html

Shostakovich: Piano Concerto No. 1; Haydn: Piano Concerto No. 11
http://blogs.yahoo.co.jp/hagetaka0/59981560.html

恋愛心理テストにTB
http://blogs.yahoo.co.jp/hagetaka0/17648476.html
☆ぼくに気がある人は、なんといっても、ハイドンさんでした。(笑)