梁美沙(Yang Mi-Sa)ヴァイオリン・リサイタル(2004.07.03)

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「朝の光のクラシック」ハーベスト・コンサーツ主催(http://www.soundpie.com/harvest/) 梁美沙ヴァイオリン・リサイタルを拝聴した。会場は、大阪・中之島 大阪市中央公会堂。旧知の大阪芸術大学教授青砥華さんに師事されたという。華さんのご主人から「華の教え子世界的評価の天才少女」との話をうかがっていた。

晴天に恵まれた「朝」その響きからして、なんと心地よくさわやかなことでしょう。演奏会そして彼女、期待を大きく上回るものでした。遠目でよくはわからなかったが、高校三年生を印象づけるような、小さな白い花柄を裾にちりばめたロイヤルブルーのドレスがよく似合っていた。ピアノの上田晴子氏と比較しても、身長はもとより明らかにまだ少女といった風。清楚ななかにも凛とした空気(オーラ)を漂わせていた。宝塚歌劇団の女学生さんのようにも私には映った。家内も「笑顔がとても素敵ね、大陸的なのかしら」と表現していた。

大いに感動的かつ美しい音楽を共有させていただいた。
心身と楽器、そこから生み出される音楽。それらは一体となって響き伝わってきた。
音楽に余裕がある。聴く人を包み込む柔軟かつ繊細な響きがそこにはありました。
やわらかい、自然な音楽。空気に溶け込んでいる。分離しているものがない。やさしさ、きびしさを表現しながらも、その響きはしなやかで自由にあふれている。
音楽づくりだけに専念、力を注ぎ、余分な緊張を感じさせない。聴衆にそれを強いることもない。
音楽作りに、また創造する響きに必要不可欠な力以外、何一つ余計な力が肩に加わっていない。
よろこびあふれる感動を表現する形容詞すべて挙げても、まだ足りないくらいに思える。
確固たる自信に満たされ、裏打ちされて余りあるものを感じた。

厳しい指導やレッスンを受けてきたに違いない。無駄な動きがない。プログラム最後のR. Straussの曲では、譜面が用意されたが、そこに眼を落とすことは皆無だったのではと思われた。その譜面をめくる動作の機敏なこと、透明な空気、彼女の繊細さの現れだろう。
あごあての固定がゆるんだようだったが、なんら演奏に支障をきたさなかった。普通だったら、気持ちが動揺もし、神経質になりそうなところだが、落ち着き余裕で対応、音楽づくりを優先していた。プロフェッショナルな態度に感服。こんなアクシデントも聴衆とよりよく共有できたように思う。

アンコールでは、今回の演奏会で、たった一度だろうか、タイミングが狂ったか楽譜にない音が発せられたかしたようで、一瞬かわいい苦笑いをする側面もかいまみせてくれた。

【プログラムノート】(解説:梁美沙)

ベートーヴェン:ピアノとヴァイオリンのためのソナタ第3番
(略)心に残る美しい旋律が随所に現れ、若い時代のベートーベンらしさが感じられる、とても存在感のある魅力的なソナタだと思います。

イザイ:無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第6番
(略)単一楽章でおよそ7分という短い曲でありながら、その中には様々な場面や要素が凝縮されています。

サン=サーンス:序奏とロンド・カプリチオーソ
(略)旋律、リズム、そして何より曲の持つ独特の雰囲気が印象的なとても美しい作品です。

リヒャルト・シュトラウス:ヴァイオリン・ソナタ
(略)華やかで、本当にスケールが大きく、広大な音楽の広がりを感じます。

(2004.07.03)


【写真:大阪市中央公会堂南入口前】