どこか幼稚な大人が此処にいます。(2003.02.10)

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日記をつけてみようと思う。
感情の赴くまま、なんでも書いてみようと思う。
不都合が生じたら、そのときはそのときで方向転換を試みよう。
まぁ、なにごとも、これまでどおり、気楽に取り組んでみよう。

先の土曜日、途中からだったが、土曜オアシス・ピアニスト仲道郁代~TV番組を視聴した。たくさんの共感すべき大切なメッセージを私はいただいた。司会とアシスタントの二人が、宙に浮いているように思えた。この人たちには、仲道さんの話がわかってないと思った。容易に予想されるお決まりの、台本どおりの言葉が返される。番組進行を優先させた時間、そのなかで、かみ合わない会話が展開される。仲道郁代さんは、素直であり、感動といつも隣り合わせの生き方を話そうとしている。司会とアシスタントのお二人は、TV画面の写りや時計とにらめっこの話、司会進行に気をとられている。話の内容も一般的で独創性など微塵もない。つかず離れず、いわゆる模範的な内容に終始している。この場だけの、心ないお上品さだけで、内容の薄っぺらな話、極めて虚栄的だと思った。

こんなとき、時間は、酷だなぁといつも思う。
時間を気にせずに、語り合えたら、また、沈黙の時間を共有できたら、どんなに幸せだろう、と。

番組の締めくくりに、ショパンの「ノクターン第20番」が演奏された。
以前、私のWebSiteのBGMに使っていた曲だ。
この曲の哀愁は、何なんだろうと、いつも思う。
涙が出てきた。
隣に座っているかみさんに悟られぬようにと思う。
でも、彼女はわかっている様子。
こんなのが夫婦なんですね。

私より若い多くの人々と接する。
なんて、私は、幼稚なんだろうと、いつも思う。
感心することばかり、なんと感動することの多いこと。
知らないことの多いのに、バカだなぁと思う。
こんな私のメッセージ、私の世界を表現し続けられたらと思う。
(2004.07.08改訂)

(2003.02.10)


【イラスト:自画像っていうのかしら】