『愛は唯一、理性的な行為である』

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【みんなの輪○】 minipeko46さんのブログ記事「落ち込んでないでこっち向いて!」
に教えていただき、知った本のすべて引用です。minipeko46さんと重複するところも多々あるかと思いますが、ぼくが感動、また、学ばねばと思ったところを下記に引用転載させていただきました。 
minipeko46さんのブログ記事のぼくの転載サイトは【ここ】にあります。

(普及版)「モリー先生との火曜日」ミッチ・アルボム
 別宮貞徳・訳(日本放送出版協会)より引用

希望をなくして消えていくか、それとも残された時間に最善を尽くすか(p17)
 突然モリーが口を開いた。「死ぬっていうのはね、悲しいことの一つに過ぎないんだよ。不幸な生き方をするのはまた別のことだ。ここへ来る人の中には不幸な人がずいぶんいる」
 なぜでしょう?
「そう、一つにはね、われわれのこの文化が人々に満ち足りた気持ちを与えないっていうことがある。われわれはまちがったことを教えているんだよ。文化がろくな役に立たないんなら、そんなものいらないと言えるだけの強さを持たないといけない。自分の文化を創ること。多くの人はそれができない。私よりよっぽど不幸だよ----こんな状態の私より。
 もうじき死ぬとはいっても、私のまわりには愛してくれる人、心配してくれる人がたくさんいる。世の中にそう言える人がどれだけいるか?」(p40-41)
「対立物の引っ張り合いの話をしたかな?」
 対立物の引っ張り合い?
「人生は、前に引っ張られたり後ろに引っ張られたりの連続なんだよ。何か一つのことをやりたいのに、
ほかのことをやらないわけにいかない。何かに腹を立てる、しかし、それがいけないことはわかっている
。あることをこんなもんだと考える、あっさり片づけるべきでないとわかっていても。
 対立物の引っ張り合い。ゴム紐を引っ張るようなもんだ。人間はたいていその中間で生きている」
 レスリングみたいですね。
レスリングか」モリーは笑う。「そう、人生はそんなふうにも言える」
 で、どっちが勝つんですか?
「どっちが勝つって?」
 にっこり目尻にしわを寄せる、らんぐい歯が見える。
「そりゃ愛さ。愛はいつも勝つ」(p44-45)
「多くの人が無意味な人生を抱えて歩き回っている。自分では大事なことのように思ってあれこれ忙しげに立ち働いているけれども、実は半分ねているようなものだ。まちがったものを追いかけているからそうなる。人生に意味を与える道は、人を愛すること、自分の周囲の社会のために尽くすこと、自分に目的と意味を与えてくれるものを創りだすこと」(p48)
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「人生でいちばん大事なことは、愛をどうやって外に出すか、どうやって中に受け入れるか、その方法を学ぶことなんだよ」
 声がささやくように細くなった。「愛を受け入れる。自分は愛されるに値しないとか、愛を受け入れれば軟弱になると思われがちだけれども、レヴァインという賢人が言っているよ、『愛は唯一、理性的な行為である』」
 モリーはこの言葉を心をこめて、一語一語意味を確かめるように反復した。「『愛は唯一、理性的な行為である』」(p57)
「こういう考えを出発点にしよう。誰でもいずれ死ぬことはわかっているのに、誰もそれを信じない」
 この日のモリーは、てきぱきと事務的だった。テーマは死。例のリストの最初の項目だ。(中略)
「誰でもいずれ死ぬことはわかっているのに、誰もそれを信じない。信じているなら、ちがうやり方をするはずだ」
 みんな自分をだましているんですね。
「そのとおり。しかし、もっといいやり方があるよ。いずれ死ぬことを認めて、いつ死んでもいいように準備すること。そのほうがずっといい。そうしてこそ、生きている間、はるかに真剣に人生に取り組むことができる」
 死ぬ準備なんて、どうすればいいんですか?
「仏教徒みたいにやればいい。毎日小鳥を肩に止まらせ、こう質問させるんだ。『今日がその日か? 用意はいいか? するべきとことをすべてやっているか? なりたいと思う人間になっているか?』」
 モリーは、実際に小鳥がいるかのように、ぐるりと首を肩のほうに向けた。
「今日が、私の死ぬ日かな?」
(中略)この世の最後の何か月でモリーの口から語られるもの、それはすべての宗教のちがいを超えている。死がそれを可能にする。
「実はね、ミッチ。いかに死ぬかも学べば、いかに生きるかも学べるんだよ」
 ぼくはうなずいた。
「もう一度言っておこう。いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べる」(p84-86)
「そうともさ。さっき言ったとおり、誰もいずれは死ぬことをほんとうに信じてはいない」
 でも、みんなが誰か死んだ人のことを知っているわけですよね。それなのに、どうして、死のことを考えるのがむずかしいんでしょう?
「なぜかっていうと、みんなまるで夢遊病者なんだな。われわれはこの世界のことを心底から十分に体験していない。それは半分眠っているから。やらなければいけないと思っていることを無反省にやっているわけだから」
 死に直面すれば、すべてが変わる?
「そうなんだ。よけいなものをはぎとって、かんじんなものに注意を集中するようになる。いずれ死ぬことを認識すれば、あらゆることについて見方ががらっと変わるよ」
 そして、はあっと息をつく。「いかに死ぬかを学べば、いかに生きるかも学べる」(p87)